【ドラマ】神はサイコロを振らない(総括)

 ドラマの最終回としては、良いオチだったのではないでしょうか。ちゃんと乗員・乗客全員が再消失したし、姿の消し方(消え方)も良かった。
 その後の加藤教授の「残骸がどこからも見つからないから、彼らは別次元で生きてるかもしれない」にはギャフン(死語)でしたが、ドラマ的には飛行機墜落させられない(らしい)んだから、この台詞は致し方ないですね。
 ドラマ全体の流れで言えば、収まるべきところにキチンと収まった最終回だったと思います。
 
 しかし、原作既読の立場から言えば、ドラマ自体には文句ありまくり。
 
 以下、腹立ちポイントを腹立ちのまま超ネガティブにお送りするので、ドラマ「神サイ」好きの方(ドラマの最終回で泣いた、ドラマは良かった、好きだったという感想をお持ちの方)はご覧にならないで下さい。
 ただ一つ言っておくと、主役4人組のキャラとエピソードは好きでした。原作にない部分の方が好感が持てるドラマでした。ただ、ちょっとでも原作回帰する部分はまったく受け付けませんでした。
 
 
 
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 とっても長文ですよ。覚悟はよろしいですか?
 
 
 気に入った作品がドラマ化されたら、そのドラマは見ない方がマシ。というのが骨身に染みて分かりました。もう何度も繰り返されてることですが。もっとも、原作読んだ時にはドラマ化される可能性など、これっぽっちも想像しませんでしたからね(原作者が原作者だけに、メジャー路線など考えられませんでしたし)。
 どう料理されるのかという興味だけで見てましたが、そりゃめちゃくちゃにされるに決まってますわな。局側の「視聴者に対して分かりやすく」という無用な義務感と「スポンサーに対する配慮」のお陰で、原作の良さなんてものは粉砕されてしまう。
 ただ、原作から外れまくっても、スタッフの手腕で素晴らしい作品に仕上がるものも(まれに)あるから、一縷の望みを掛けて見ちゃうんですけどね。
 だけど、残念ながら私的には、今回は外れでした。
 
 
 最終回。子供相手に「お父さんはホームレス」なんて現実を突きつけることは無い。あと数時間後には再び過去に引き戻され、死ぬかもしれない子供に。「明日からパパがんばるよ」宣言なんて、ただの自己満足でしょう? 大人なら、父親なら、最後まで息子に気付かせずに、ただ自分が心の中で「お前のためにも、父さんは立ち直るよ」と言わせるだけで良かったはずでは?
 
 どうにも、ドラマ全体に漂うこの手の“自己満足”が鼻について仕方がなかったです。
 
 例えば、女漫才コンビの“お願い”である「人前で漫才がやりたい」。後輩は先輩のために大きな舞台でやる事を望み、先輩は小さいながらも自力で舞台の手配をする。そして後輩の頼みを受けたヤッチが都内を駆け回って大きな舞台を取ってくる。
 でも、ここでヤッチが出したお金は、どうみても自分の貯金ですよね。それって社会人としてどうなの。会社に相談もせず、個人的に金出すって。それは単にヤッチの自己満足に過ぎないのでは?
 結局は先輩が取った公民館の予約を優先して、ヤッチが取った方は解約。当日飛び込みで来た客の要望に、せいいっぱい対応した演芸ホール(だっけ?)の支配人の立場はどうなるの。
 しかも、周りを右往左往させた挙げ句の、二人の出し物はほかの芸人のパクリばっかり。こんなネタのために、ヤッチは自分の貯金30万をドブに捨てるようなマネしたんですか。
 あの瞬間、あの二人の女芸人が幸せなら、それでいいんだ。30代独身女が、チミチミ貯めた小金に執着せず、他人のためになるお金として活用しようとした、そういう美談にしたいんでしょうか。他人のために犠牲になれる自分は素晴らしいと、そういう話?
 とても真っ当な社会人のやる事とは思えない。
 
 学校の先生のために、かつての教え子を連れてくる話もそう。代理人を仕立ててお茶を濁していたのに、娘さんから感謝され、周りから褒められるうちに、自分のついたウソに耐えられなくなり、先生に本当のことを打ち明ける。
 だったら、まず先に教え子のところに行って「やっぱり嘘は良くないから、先生に一度会って欲しい」と段取り付けて(それでも彼はイヤがるだろうけど、結局話のラストでは競技場の観客席からチラ見する先生と目が合っちゃうんだから、「遠くから姿を見る、それだけでもいいんです」って説得すればいいじゃん)、それから謝ったらどうなんだろう。
 あの時点では、「嘘です、すみません、連れて来られませんでした」って謝罪しただけ。懺悔したヤッチの気持ちは軽くなるだろうけど、やっぱり教え子に拒絶されたと知った先生が受けるショックについては考えてない。事実、先生はそのあと無気力になったわけで、これのどこが「人を思いやる」態度なのかと。
 
 弟が思い描く自分とその実像のギャップに悩んで、突然キレる甲斐遺族会会長とか、その段になってようやく「自分たちが間違ってました」と謝る管理部長とか、なんで最終回でみんなバタバタと我が身を振り返るのかな。
 
 というか、もう本当に最初っから疑問だったのが、会社側の姿勢ですよ。説明義務を怠って、マスコミにすっぱ抜かれてからようやく「9日後に再消失の可能性があります」と説明する後手後手さとか、遺族に連絡取るのを面倒くさがる(としか思えない)あたりとか。
 内部告発されて、「航空では、突然現れた402便の乗客に迷惑してる」とか新○とか○春あたり書かれたらどうするの。せめて外面ぐらい取り繕ったらどうなのか。
 
 そもそも、あんな異常な出現の仕方をしたのに、乗客のほとんどがマスコミに追いかけ回されてない、という違和感。ヤッチなんてコ・パイと恋仲だった事実を暴かれて、マイクやレコーダーを突きつけられて、家の前に張り番が出たっておかしくないでしょうに、そこらへんもスルー。
 おまけに、再消失日が来ても、乗客の誰にもマスコミが張り付いてない。再び消失する瞬間なんてスクープですよ。日本のマスコミは、いつからそんなに人道的になったんだ。
 
 もちろん、それ全部を描いていたら尺も足りないし、このドラマが描きたいのはそんな事じゃないんだよ、っていうのも分かるけど、だったら最初に過熱するマスコミ取材をちらっと書いて、世論やなんやかやあって自主規制した、という描写入れれば済む話ですよ。1話分も要らない。それとも、私が見逃しただけで、そういう描写はあったのか。
 
 
 何度も書いてますが、乗客の話が一番要らなかった。どの乗客のエピソードも、ほとんど感情移入できなかったし、そこで描かれる自己満足の応酬には、正直言って辟易した。
 原作じゃない部分が面白くて、原作に沿った部分は、その良さをほとんど無くしてるんだから(原作者があえてそういう流れにしなかったエピソードを、おもいっきり分かりやすい流れに切り替えた脚色部分を見ると)、正直原作要らなかったな、としか思えません。
 
 10年前と現在のギャップで、30代負け犬女の喪失と回復みたいな話にするなら、アッチとヤッチと菊介と哲也の4人だけで充分でした。原作に登場しない4人(本当はアッチと哲也は出てるけど、キャラも設定も全然違うので“別人”扱い)のエピソードが一番面白かったし、ほのぼのしてたし、泣ける部分もあった。
 他の乗員・乗客は行方不明のままで、アッチと哲也だけが戻ってきて……とすれば良かったのに(極論)。どっちにしろ原作既読者は暴れるんだから、だったら完全に破壊してくれた方がマシです。
 
 
 原作本プレゼントとかやってましたが、実際に当選した人は戸惑ったんじゃないでしょうか。アッチもヤッチも出て無いし、話は全然違うし、女の友情とか昔の男とかも出てこないし(そもそもヤッチが男だ、というだけでもショックは大きそう)、某事件だの某災害だので強烈にこっぴどい目にあった人が出てくるし、消失猶予は3日間だし、殺人事件は起こるし、ヲタク婦警は出てくるし、ピアニストは出てこないし、漫才コンビは女じゃなくて男で、その上再結成の夢は無いし。
 ドラマ→原作読んだ人はどう思うんだろう。違いすぎて受け入れられないんじゃないだろうか>原作
[ 2006/03/15 11:48 ] TV・ドラマ | TB(0) | CM(0)
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